塚本晃「WONDERFUL LIFE」を語らう

HEAVEN 1992 TOURパンフレットより。
対話人 こすぎじゅんいち
構成 山岡秀司




K(こすぎじゅんいち)酒を飲みはじめましたから、酒からいきますけど、さけってつかもとさんにとってなんですか。
T(塚本晃)あー、そうくるんですか(笑)。自分にとってなんだっていうのはあんまり考えたことない。好きなのは好きですけどね。
K たとえばどんなときに飲みます。
T 時間を持て余したときかな。煙草とか酒とか似たようなもの。昔は家にいるときしか飲まなかったんです。でも最近は家だとほとんど飲まない。
K 家で飲んでたっていうのはどうしてなんですか。
T 大騒ぎするのが嫌いなんですよ。宴会も嫌いで。盛り上がったりするとすぐ帰りたくなっちゃう。特に知らない人がいると嫌ですね。
K それが外で飲むようになったのは、なんでですか。
T いつも行く店があってって、同じようなこと敦も言ってたでしょ(笑)。
K 別の店でしょ。
T ええ。僕、昔から憧れてたんですよ、自分の行きつけの店に。いい店を見つけて、親父と仲良くなりたいなって思ってた。そういう人を見てて、うらやましいなと思ってたの。それが、いまのとこに引っ越してから彼女と二人で近所の店にふらっと入ったら、そういうふうになれた。親父は60歳くらいの人で、たまたま田舎が僕と同郷の福島で、それで田舎の話をして仲良くなったんですけどね。
 で、その店には結構おもしろい人が来るんですよ。俳優さんとかサザエさんで声をやってる声優さんとか。だから、つまらない仕事をした後は、そこへ行っていろんな人と話をして、相手もわかったようなふりをして、こっちもまたわかったようなふりをしてっていうのが意外と楽しいの。
K そういう店を見つけたことで、外へ出ることが多くなったんでしょうね。
T そうですね。それが結構でかいかもしれない。その店はつまみとかにあまりこだわってなくて、ラーメンとか書いてあってもインスタントだったりする(笑)。焼きおにぎりを頼むと、冷凍のを焼いてる。らっきょが好きだから頼むと、おもむろに買ってきた袋を切る。初めは、自家製ですかって聞こうと思ったんですけど(笑)。だから、カウンターの向こう側っていうのは全然別の世界なんですね。そこがまたおもしろい。
K うまさというより、居心地の良さですね。
T ええ。つまんないこと言う人もいっぱいいるけど、それが許せるところがある。もう、音楽のことなんか全然わかっちゃいないんですよ。
K でも話題が違うからいいんでしょうね。音楽やってる人は音楽どっぷり人間だから、それ以外のことのほうが息抜きになりますよね。
T そうですね。だから、音楽やってる奴とそこに一緒に行くのはすごくイヤ。
K 地方でもそういうお店を探したりしませんか。
T しますね。前のバンドのときも、悪いとは思うんだけど、なんかみんなでワッと盛り上がるのがだめで、気持ちが乗っていないときに無理に気持ちを盛り上げるのがイヤで、ひとりとかふたりで、打ち上げを抜け出して行ってましたね。敦とは一緒のレコード会社だったからよく目で合図して行ってました。
K 聞いちゃいますけど、彼とはどんなふうに出会ったんですか。
T 出会ったときは、あんまりいい印象持ってなかったんですよね。きっと、バンドの印象を意識してたんだと思うけど。話すことなかったし・・・あいつ、髭を剃ったときはパーッときれいな顔になるんですよ、それが凄いイヤだった(笑)。だから、かっこつけた野郎だと思ったんですよ。それに、僕は当時は凄くかたまってて、他人の感性を拒否したいところがあったから。それが、しばらくしてからスタジオで一緒だったときにちょっと話したら、思ってることと全然違うことを話し始めて、奴もそう思ったみたいでそれからですね。
 その後は、気持ちの中の話ばっかりしてた。たとえば、何かを好きになったらそれはどの部分なのかとか、これからどうしたいのかとか。
K 自分の話したいことを、話せる相手が見つかったっていうこと。
T そういう相手がいなかったわけじゃないけど、敦は話したときのショックが大きかった。
K そのショックは話の通りの良さですね。自分の話がそのまま伝わるってことですね。
T 何も含みのない話をする奴だから。僕のほうが含みのある話をするほうなんですよね。奴は、時々話がへただと思うことがあるけど、へたなんじゃなくてそれを本当に話そうとしているからなんだよね。凄くそういうところに影響を受けた。
 きっと、音楽性とかじゃないんですね。僕等ミュージシャンだから音楽も凄く大事だけど、存在っていうのが凄く大きいんだと思う。
 僕等は酒を飲んでも本当にバカ話はしないんですよ。他人から見れば大バカな話なんですけど。バンドの構成とかで頭がいっちゃってるから。結局答えは出ないんですけど、バンドをやろうって決めたときから本当にドキドキして、そのことに夢中になってたから。
 前のバンドを辞めたときは、音楽性よりも辞めるってことがしたかったんですよ。僕等どうがんばってもシステムの中にいるわけでしょ。それはそれでいいと思うんだけど、前のバンドにいるときは、そこにいる自分を壊したいっていう衝動に駆られたんですよ。敦との出会いがそのきっかけになったというのは、否定できないですね。
K 新しいバンドを作ることで、前のバンドの中で自分が主張できなかった部分とか出せなかったものを出せる希望が出てきましたね。
T そうですね。出せる希望というより、出すという意思。
K いまの話に少しつながりますけど、「過去」へいきましょうか。過去って嫌いですか、好きですか。
T 嫌いじゃないです。しょうがない(笑)。前にある絵のほうがおもしろいけど、別に否定するほどのものでもない。
K 過去を甘んじて受け入れるのは、前に何かがあるからですよね。まだまだって部分があるから。
T 前に何もなければきっといいと思える。
K 過去に帰ってしまうか、過去がやだやだと言っていまもだめになってしまうかどちらかですよね。
 あと、過去って言葉で思い浮かぶことはありますか。
T 音楽とかはあんまり関係ないですね。女、かな。
 よく時間が解決するとかいいますけど、そういうのは全くナンセンスだと思った。18、19のころだと、凄くSEXに興味のある時期だし、もちろんSEXだけじゃなくて、まだお互いに前へ行くって言う同じ観念しか持てないときですよね。だから、凄く影響されたし、同化したいと思うんですよ。だから、過去っていうとバンドのこととか親のこととかは思い浮かばない。
K 男である間はそうなんじゃないですかね。親になったらまた変わるんでしょうけど。
 でも、塚本さんにとって影響を与えてくれる人ってどんな人ですか。
T たとえば、この本にある「WONDERFUL LIFE」のアンケートで、WONDERFUL LIFEに必要なものっていうのがあるけど、僕にとってそれは自分以外の人なんですよ。他人ってことですよね。だから、影響はどんな人からも受けられるんです。
 つまんない人を見ればつまんなくないようにしようと思う。他人のふり見て我がふり直せってこともあるし、他人のふり見てそうなりたいっていうのもある。極論を言っちゃえば他人がいなければ言葉もいらないし、音楽もやらないだろうと思う。ただ他人のために音楽やってるんじゃないですよ。ファンのことをどう思うかって聞かれれば、それはもちろん自分たちのことを好きでいてくれるのは嬉しいし、考えるけど、でもそんなに大きな問題ではない。それよりも、別のところで付き合える感覚のほうが魅力を感じる。それは、影響って言葉が適してるかどうかわからないけど・・・そうだな、影響を受けるってことで言えば、自覚してる人。
 だからWONDERFUL LIFEとは何かっていうと、自覚すること。自覚できる自分を意識できること。自分を知ろうとする意識を持てることが、WONDERFUL LIFEだと思う。温泉に行くとか、何か自分の趣味をやるのがWONDERFUL LIFEじゃなくて、ダメでもいい、でもきっとしなきゃいけない作業だと思う。だから、生活の中に否応なしに担がされているものだと思う。
K その通りですね。どう生きるか考えてない奴がいるから、おもしろくない。
T でもきっと、考えてない奴がいるからおもしろいっていうのもありますね。
K でもあなたは、考える奴なんでしょ。
T 僕は考えますよ。いや、きっとみんな考えてるんですよ。その人なりのやり方で。でも、それがおもしろいものではない。それだけの話であって・・・。
K そういうことって人に言うのは難しいですね。そんな話をする機会もあまりないしね。そういう意味では、そういうことをストレートに出してるぞって言ってるとこが、HEAVENのおもしろいとこなんでしょうね。それを出すのを恥ずかしがっている人たちに、私の中にはそれがあるよって言ってるところが、音楽的な話の前におもしろいのかもしれない。
T それは、自分が追求したいところではあります。音楽でやるのは手段ですよ。
 表現方法に関しては凄く考えますけどね。その辺りのことで言うと、いま教えられてるっていうか、凄く好きな作家の人がいて、谷川俊太郎っていう人なんだけど、本当に好きなんですよ。読みはじめたのはここ一年くらいなんですけど。
K 谷川さんを凄いと思ったのはどんなところですか。
T いま持ってるこの詩集(現代詩文庫 27 谷川俊太郎詩集・思潮社刊を鞄から取り出す)に「世界へ」っていう詩論が載っていて、詩っていうのは何かっていうことが書いてあるんだけど、ちょっと読んでみると---「人生は日々のものである。そして人生が日々のものである限り、詩もまた日々のものである。日々使い捨てられることによってのみ、詩は自らを完成し得る。詩は一人の生のために使い捨てられるという栄誉をになうのだ。詩は詩と、それに感動する一人の人とによって、始めて完成するものだ。詩自身はそれだけでは何ものでもない」って書いてある。
 これはつまり、詩は詩だけを求めるんじゃなくて、生活と共にあるということ、生活するっていうことがもう詩を書くということ。だから---
「窓の外では、雀がさえずっている。子供たちは三輪車を押して遊び、主婦たちは洗濯に余念がない。(中略)世界とその中での人間の生活、私もまさにそのために詩を書いているのだ。一人は旋盤をまわし、一人は畠を耕す、一人は洗濯し、一人は詩を書く、そうして我々は互いに生かしあっている、それを離れて、詩には如何なる抽象的な価値も意味もありはしない。詩が鍋釜と同じものだとは思わない。だが、生活してゆくこと以外に、人間にどんな生き方が残されているのだろう」とも書いてあります。この詩のとらえ方っていうのが凄いと思いますね。
 ようするに、何を表現するかってことですよね。僕らはまだ自分をどん底まで突き詰めて表現することをまだしい得ていないって思ってます。でも、そこへ行きたいと思ってる。これは僕だけの話なんだけど、敦は僕が谷川さんの本を持っててもみない。でも、それでいいと思ってる。僕に足らないところを足してくれるから。それでもまだ全部が足りてるわけじゃないけど。谷川さんの言っているように、日々終わってまた生まれてくるものもあるから、いい。
 谷川さんを知る前は、ずっと萩原朔太郎が好きだったんです。でも、谷川さんの詩には悲壮感が全然なかったんですよ。比べてもしょうがないけど、時代の違いもあるだろうし、悲壮感が売りものの時代もあったろうし、その人自身は突き詰めるところまで行ったんだろうけど、でも、いまの僕にはわかんなくなったところが多いから。
K あの時代は、売り方としてそういうものを受け入れる時代だった。関係ないものをあるように言葉で表現することができた。わかる人にはわかるけど、わかんない人までごまかしてしまうようなステイタスがあった。谷川さんの時代も本当はそうだったんですよ。でも、普通の人間として詩を書いた。普通の人でもこれだけやれるんだよってやったのが谷川さんですよね。詩人と呼ばれるより、生活詩人と言われるように。
T ええ。やっぱり、谷川さんのどこに感動したかっていうと、分析とか定義とかないところですね。僕たちはいつも何かを分析して定義しようとしてるでしょ。それは人間の性なんだとは思うけど、僕はそうやってなんでも意味付けをして言葉にするのは、人間ぽくないと思ってる。だから、そこが一番凄いなと思う。
K 谷川さんは受け入れているんですよ。具体的に詩で言えば「二〇億光年の孤独」で、自分を受け止めているんです。だから、人間が一番いいんだっていう時代があって、そうでもないぞっていうことをやった人だな。そうやって受け入れた上での人間なんだ。普通に朝散歩をしているときの自分も人間だけど、神に対してだって何か言えるかもしれないって。
 思い切って、谷川さんの詩に曲を付けてみたらどうですか。
T そうですね。やってる人はいますよね。でも僕は、曲を付けたいとは思わない。そこじゃないんだと思う。谷川さんだけに影響を受けたわけではないし、谷川さん自身もいろんな影響を受けた人がいて、それを消化した自分がある。僕らもそれを出していかないとね。
K なるほど。気持ちを受けていくだけですよね。
T 僕はいま、詩を書くという行為だけで何かを表現してるわけではないけど、それは素直に思っていたいですね。



他人の話と谷川さんの話が面白かったです。


ワンダフル・ライフ
HEAVEN

B00005N09O

関連商品
by G-Tools