中村敦インタビュー1993年 by 森内淳


HEAVENの新作「快晴予報」は前作につづきまたしても"力作"である。制作時間が七百時間を超えたというだけあってその密度も滅茶苦茶濃い。ただ前作と決定的に違うのは前作のスピードとパワーを保ちつつも少しでもポジティヴな表現へと向かおうとしているところだ。前作が内側に向かってトンガってた作品とするならば今作はインナーをおおう殻を少しでも突き破ろうとする彼らの意志が見え隠れしている。今回はその"変化"を中心に中村敦に訊いた。





・セカンド・ラインという曲で「おーい誰か/生きてる奴はいないか」というフレーズがありますが、ここを「死んでる奴はしょうがない」としなかったところがこのアルバムのポイントかなという気もしたんですけど。
「死んでる奴よりはいいでしょうね、たしかに」
・この前向きなフレーズに至った中村さんの気分とはどういったものなんでしょうか。
「哲学的なとこはないんですよ、全然。ただそういう気分ではあるんでしょうね、多分」
・たとえば前のアルバムの歌詞のかき方でいくともっと違ったものになったような気もするんだよね。
「ああ、あれはもう懲りたっていうのもありますしね。うん、それはあるでしょうね。自分を掘り下げても何もなかったからかなあ。頭おかしくなるまで自分を追い詰めてかいてみたりしたんだけど、なんていうのかなあ、音楽を超えちゃうと面白くないじゃない。言葉でも意思でもさ。やっばり音楽でまとめたいし、そういうんであんまり自分のなかを見ることをしなくなっちゃったところもある。今なんかも全然見てもないしね。いろんな角度があるじゃん、自分の突き詰め方の。『アンナチュラルグルーヴァー』みたいなやり方はあれはあれでいいじゃないかと。俺は何もメッセージがないんだって思って曲をかいてるから、今は。ちょっとはなんか馬鹿が治ってきたというか。より馬鹿になったのかもしれないけど(笑)、なかったんだよね、ほんとに。ラヴ&ピースも戦争反対もないしさ。目に見えてるものをてめえの角度でかくしかないからさ」
・前は背伸びしようとしてた?
「どこまで見えるかなあと思ったのかな。自分のレンズでどこまで見えるのかな、と。その上もあるんだろうけど、俺は音楽だからと思って。言葉は遊べりゃいいなと思うし。今はすごく気持ちいい使い方はできてる。やっばミュージシャンだからね、音楽で遊ぶのが一番好きなの。言葉だけにはまりたくない。言葉じゃいいつくせないと思うしね。それやっちゃったら宗教家か政治家かみたいな頭になってきちゃうし。それは違うだろうと。でっかいこといおうとするとそれだけの知識と責任が必要なわけでね。それは興味ない。言葉も使い方を間違えると、そんな気分になるからね。社会性はないと思うよ、僕らの歌って。異常に小さい世界のことをうたってるわけだから。そこを勘違いされてね、でっかく思われるのは得意技っていうか(笑)、俺がかいた歌を政治に置き換えてもいいし学校の何かに置き換えてもいいし。そういう意味じゃ歌をつくるのは最近面白くなったな、と思う」
・それを楽しめるようになったのはでかいですね。
「うん。元々ね勘違いされるのが嫌だと思って一生懸命かいてたんだけど、勘違いされるものだなと思うとより素朴になるし嘘がいえなくなる。そこでうたうとお互いいいことがあるんですよね」
・そうなんですよ。そこがロックの面白さでもあるわけだから。
「美しい!(笑)」
・今回のアルバム・タイトルが『快晴予報』になったのはそういう背景があるわけですね。
「晴れるよっていってるんだよね。明日は曇りではないよって。そうやって生きていこうっていうことじゃないですか?晴れんだよ、明日は!って。二枚目とかで言葉とかインナーに入ってた部分を曇りだとしたらもう明日は晴れだと。それとあさってのことばかり考えてコケちゃったからもうちょっとゆっくり行こうよってこともあるね。あんまりあさってのことばっかいってて明日の暮らしが駄目だったからね」
・なるほど。しかし歌詞同様音の方も前進してますよね。バラバラなものを上手くまとめてる。
「自分ではできてるつもりはないからアレだけど、振り返ってみれば一曲たりとも同じような方法論で録ってないからね」
・うんうん。
「そういう意味じゃまあバラバラになるよなって感じ。オムニバス盤みたいになっちゃう。でも他人はどう捉えるか知らないけどこれくらいの音は半年とか一年間とか生きてたら楽勝で耳にするから、それを処理するような能力はもってるし。ただ音の遊びという点では面白いけどバンドのクオリティとかそういうことでいったらまたまだ全然高いところで考えたいなと思うし、できてるとは思わない。やっぱりなんもかんも先に詩が出るから。詩が偉かったりして、そういうところからつくってるやり方だなあと思うよね」
・たしかに捩じり出してる感じは拭えないけど。
「二人のコンビネーションはいいんだけど、それを保つために無理してるわけだから、その無理がなくなるくらいまでいかないと駄目だろうなっていうのはある。やっぱ曲ができてるんじゃなくて"つくってる"からね。曲はどういうときにつくるんですか?って聞かれて、つくってんじゃなくて無理やり絞りだしてんだって(笑)。山に入って合宿してつくりだしているところはあるから。たしかに今の俺らの魅力はそこだけかな、みたいなところはあるけど。まあそれがトンがってる角度になってるから、好きなんだけど」
・とはいえ苦労を見せないトンガリ方というか自然にトンガってく方がいいに決まっているという。
「そうそう。ただヘヴンなんて半永久的につづくもんだから頭のなかに壊すもんがなくなったらまた違うことやりゃいいんだし。もう好きなことやるよ。それこそ煙草から眼鏡からグルーヴしてこないと面白くないっていう感じがするから。他人にカッコいいなあと思えるようなことをやるのも飽きたから。たとえばレコード評なんかでポピュラーじゃないとか変にマニアックだとかいわれてもよくわかんないんだけどさ、かきたい歌かいてこうなっちゃってんだからしょうがないじゃないの?っていうところでやってますから。レコード評とかでポピュラリティが云々って書かれても、そんなこといわれたってよおって感じですね(笑)。そもそも重いとか重くないというのは自分らではわかってないから。まあわかってる部分があればその辺は直してるけど。ほんとは軽いの聴きたいからね、スカッとしたやつが」
・(笑)。
「でもほんとだよ、彼女連れて車パーッとか走らせているときにユーミンなんか目じゃないなあとそういう爽やかなやつがつくりたいんだけど、なかなかできないですよね。それは素直だからだと思うんですよ。頭ではわかってるんだけど、かきたい歌をかいてるとこうなっちゃうというのが今の僕らの現状だという」
・でも僕なんかユーミンよかヘヴンの方がスカッとするけどね(笑)。
「そうなんだろうね。だからそうやってつくってんだろうね。タッチはあれがイメージなんだけど俺のスカッはこれなんだ、という(笑)。"おーい、誰か生きてる奴はいないか?"なんていわれたら普通頭くんじゃん。うるせえよ!ってなるじゃん。でも俺はそういう方がスカッとするからやっぱこうなっちゃうというね(笑)」
・そこで一つ疑問に思うことがあるんですが、ヘヴンのライヴってどうしてそういったトンガったとこを見せないんですかね。
「メンバーがいるからかな。いろんな人達がいるからその人達の一番いいプレイを聴かせたいから」
・ではなぜライヴのスタイルはレコードで却下されてしまうんですかね。
「この日にこの曲を録りますっていってバッチリいいタイコを叩いてくれるとするでしょ。でも次の日になると、このアレンジちよっと違うんじゃないか、もっとサンバっぽくやろう、と。だったら彼の一番いいテイクを捨てなくちゃならない。僕らバンドのグルーヴをずっと暖めていく方法じゃないから、その曲に対してどのアレンジが一番いいかっていうのは勘と趣味だけでやってるわけでしょ。だから二人の可能性を追求するとそうなる。このアルバムも16曲入ってるけどアレンジは一曲に対して4パターンずつくらいある。海賊版はすごい出せる。だてに七百時間録ってないだろうっていうね(笑)。歌も20通りくらいあったりして。今の自分らはこれだ!っていうくらいの決定力があるわけじゃないからそういう可能性の方が大切なんですね」
・じゃ逆にそれをライヴでやる気はない?
「それ以上に熱いんだな、僕らは。ステージに立つと。頭でクールに音楽をやらないといけないと思ってるにもかかわらず加熱するとガーッ、バキィッみたいな。それでワン・ツアーで6本も7本もギター壊したりして(笑)」
・カッコいいじゃないですか。そういうヘヴンのライヴを今だからこそ観てみたいなあ。
「でも俺は楽屋で落ち込みまくるよ(笑)。前はギターにファズかけて打楽器みたいにして前衛的なことばっかりやってたんだけど、こんなことばっかやっててもしょうがねえだろうって」
・ああ、そうなっちゃうと考えものだけど。
「それで結果的に今はバンドはバンドで七人で七つのリズムをつくって音楽を楽しんでもらおうよっていうさ。この方法が今は一番好きかな」
・ある意味では七人でやるということは中村さんと塚本さんの暴走を抑えているわけだ?
「そうかもしれない(笑)」



快晴予報

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