塚本晃インタビュー1992年by山崎洋一郎

ROCKIN'ON JAPAN1992年6月号より。



●このバンドはふたりとも歌って、ふたりとも作詞・作曲して、ほんとにふたりでひとつみたいな、1+1=2っていう算数みたいなバンドなんだけどさ。
「うんうん」
●で、今回もだいたい半々で詞も曲も書いてるんだけどもアルバムに並んだ時にどっちがどっちの曲を書いたのかっていうのがそんなにわかんないじゃん。普通、半々でやってるバンドがあったとしても陰と陽だったりとか赤と緑だったりとかするんだけど、上がった作品まで一体化してるじゃない?こんな気持ち悪いことが果たして人間同士の在り方としてあっていいんだろうかっていう気がするんだけども。
「ああ、だから、それはあんだからしょうがないよねえ。何でだと思う?(笑)」
●いや、わからん(笑)。まあ、考えられるとすれば、自分が緑だとしてもパンドがオレンジなんだからオレンジを作るんだという、バンドにふたりが奉仕するという形がまずあり得ると思うのね。
「うんうん」
●それともうひとつあるのは、ふたりがとことんコミュニケーションを繰り返して、普通の人間同士の結びつきだとあり得ないぐらいのところまで交わり合ってしまう、と。そのふたつぐらいしか俺は思いつかないんだよね。
「僕はね、自分では後者のような気がする。だからやっば、やつと会ってから、自分が感じたり考えたりして行動すること全てを通して、圧倒的に自分のことをちゃんとしようと思うことが多くなったのね。すごい幼稚な言い方だけど。だから、ものすごい深くコミュニケーションしてるんだと思うよ、うん」
●でも、そこまでやんなくてもバンドってできるわけじゃん。例えば出てくる結論は全然違っても、「でも、認め合えてるからいいよね」みたいなとこで「じゃあ、君はオレンジ。僕は緑だ」っていうやり方で1枚のアルバムを作ることもできるんだけども。
「ていうかね、詞を書いたり曲を書いたりとかいうのは絶対に個人じゃないとできないと俺は思ってるのね。だからほんと気持ち悪い話だけど(笑)、やつと詞を書く時にやっぱもうひとつの個人になってるんだよ。だから、そういうふうな結論が出てくるんじゃないの」
●でも、生半可なコミュニケーションだとやっぱりそういうことはできないわけでさあ。いま言ったみたいにソングライティングってすごい個人だよね。それぞれがそれぞれの個人の内に入っていって曲を書くでしょう。そうすると例えば個性みたいなレベルでぶつかり合ったりすることもあり得るわけじゃん。でも、ほんとにもっともっとグーッと入っていくことによって逆に違う地点まで行けるようなことが――僕はそんなことはやったことがないけども――あるのかなあっていうふうに思ったりするんだよね。
「ある! うん。それを俺はほんと言葉んなんないから説明できないけど、ある! そうだな、こういう曲の作り方とかこういう詞の書き方をしたのはヘヴンになってからが初めてなんだわね。そんでね…………いや、だからそういうことはある! 俺はあり得ると思う」
●もうほんとにお互いが個人の「助けてくれ」っていうぐらい底の底まで降りていっていま創作活動をやってるということだよね。
「うん、『助けてくれ』だったと思うよ(笑)。お互いにそうだったような気がする」
●ということは、すごく個人的に自分にこだわって、ほんとに自分でできる限りのところまで極めていったからこそ逆に相手とすごく画期的なパートナーシップが結びつけられるようになったということなのかなあ?
「うん。それは例えば言葉を書くこととかそういうとこまで辿り着かないけれども、すごい自分の気持ちの中で沸騰してるもんが全部溢れちゃう感じで、すごい熱く熱くなってそれが全部なくなっちゃうとこまではたぶん行ってんだと思うよ。だからもう自分の中に、じつはきっと何にもないんだろうなあ(笑)ぐらいに思うこともある。ていうか、すごく思ってた時があった」
●なるほどね。で、そこでやっぱり訊きたいのは、そういうやり方をどうやって見出していったのかってところなんだけど。そもそも、塚本さんが一番最初に音楽を聴き始めた頃っていうのは、どんな感じで入っていったんですか。
「そうだなあ、あの頃は何が流行ってたろうなあ? ちょうどナックとかスーパートランプとかが流行ってた頃かなあ。あのぐらいの時期に、ちょうどそういうポップスがすごく好きになったのかなあ」
●じゃあ、けっこうロック軟弱時代だよね。パンクとかが終わってまた再びアメリカのビルボード・ポップスみたいなのがのさばり始めてきた時期で。
「うん。けっこう当たり障りないもんがすごい好きだったのかもしんない。でね、またELOとかABBAとかそういうのも流行ってて。そういうのをエアーチェックとかして聴いてたよ。土曜の2時からやってる『ポップス・ベストテン』とかあったじゃん。あの番組ばっかり聴いてた」
ダイヤトーン『ポップス・ベストテン』?(笑)。
「そうそうそうそう。あれあれ」
●じゃあ、軟弱ロック坊主みたいな感じだったんだ?
「そんな言い方ないだろうが!(笑)。でも、まあそのとおりだなあ」
●で、その後は?
「その後はもうストーンズ。でもけっこうハマった振りしてた(笑)。あんまり好きじゃなかった。けど、何かすごい錯覚してくるのよ。いま聴くと面白いなあと思うけど、あの頃はストーンズとかよりもやっぱり何か『これを好きだ』っていうことにハマるんだよね。例えば『ブルース何聴いてる?』『おまえ、マディー・ウォーターズ聴いてんの?」とか、そういう言葉のやり取りにすごくハマってた時期があったね(笑)。それはきっと、男の子は誰でもあるでしょう。女の子はあんまりないけどね」
●じゃあ、第一次接近遭遇がその軟弱ポップスものだとしたら、強力なノックアウトを受けたのはいつ頃なのかなあ?
「強力なノックアウトを受けたのは、やっぱリビートルズだねえ。それはプロんなってからですね」
●ええっ(笑)!?
「はははは」
●じゃあ、例えば大矢郁史を誘ってシェイデイ・ドールズを始めた頃は、けっこう軽薄な動機で始めたんですか。
「そうだねえ。わりと何でも良かったかなあ。でも、ストーンズみたいなバンドがいっぱいいたから『ああ、そういうのカッコいいなあ』思って」
●(笑)そうなんだ?
「なんかね、けっこうバンドをやってたら何でも良かったの。アルバイトとかしながらバンドをやってるっちゅう、そういうライフ・スタイルにすごく憧れてたの。ごく普通の子供だったからさあ。だから、全然異端児ではなかったからね」
●じゃあ、ただ「カッコいいからバンドやろうぜ」っていう感じ?
「初めはそうですね」
●でも、大矢くんなんかは全然違うタイプだよね。どっちかというとちょっとやさぐれたところを歩いてたっていうか。
「郁史もねえ、けっこうそんなもんよ(笑)たぶん。みんなカッコつけるんだって、とりあえず若い時は」
●ははははは。
「俺たちなんて最初の頃は『もう悪いことは何でもやり尽くしたぜ』みたいなコピーがついてたもん。何だかな、すごい拍子抜けしたもんなあ」
●(笑)へえー。じゃあ、自分の生きることと密接して音楽をやることを考え始めたのはいつ頃?
「だからねえ、俺はそれがきっと敦と会ってからだと思うんだ」
●ゲゲッッ!?(笑)。
「そうなの。ていうか、あいつがすごく面白かったんだよ、それで何で驚かれんのかも俺はよくわかんねーんだけどさあ(笑)」
●だって僕が中学生・高校生でシェイディ・ドールズのファンだとしたら、「ああ、塚本の兄貴は相当深いとこまで考えてカッコいい音楽やってんだろうなあ」って思うわけじゃん。
「いや、ていうか、自分で自分の深いところを説明してやりくりしてもしょうがねーなあと思うからさあ(笑)。だから、まあ一番面白かった出会いっていうとこかなあ。ただね、前からすごい言葉に対するこうでもねーああでもねーとかいうのは他人の詞を見ながらすごくあったのね。で、それはもうすごい沸騰寸前まで行ってんだけど、自分に言葉がないから絶対に溢れないの。要するに詞を書けないと思ってるから。シェイディん時はずっとそうだったでしょう」
●うん。
「で、詞みたいなものを何コか書いてみたりしたんだけど、やっばりとりあえず郁史が詞を書いて僕が曲をつけるっていうスタイルがずっとあったからね。で、そこから絶対に飛び出したいと思うほど、べつに苛立ってはいなかったんだろうね、いま考えるとね。ただ、やっばりすごいそこに対する、言葉に対する思い入れみたいのはもうずーっと始めた時からあった」
●じゃあ自分がそれをやるんだっていうところまでダイレクトにはつながってなかったっていうことなんだ?
「うん、うん。だから、歌とかに関してもまったくそうだな。例えばすごい俺の中には黒人のソウルの唄い回しもいろんな民族音楽のあの人がこうやってああやってとかっていうのが全部あるの。あるんだけど、絶対に出てこないの!(笑)。唄えない。だからもう、それを自分で完全に閉じるでしょう。詞もそうなんだよね。で、俺は曲が書けるとかいうところにたぶんすごいすがったんだよね」
●ああ、俺の役割は曲を書くことだろうみたいなとこで止まってたんだ?
「うんうん。とりあえずそこで自分を納得させてるっていうかさあ。だからそれが敦と会って『ああ、べつにそんなこと考えなくてもいいんだな』と思ったのよね」
●何故思ったの?
「わかんね―(笑)。なんかその雰囲気がそういう雰囲気だったの」
●でも、普通に考えるとそういう強力なやつに出会うとなおさら「ああ、こいつはやっぱり言葉を唄うべきやつだなあ」「俺はやっばり曲を書くのがいいんじゃないか」みたいな、そういう発想にはならなかった?
「うん」
●むしろ焚きつけられたんだ?
「うん、逆だった。ていうか、やらにゃいけねーんだなあと思った。やってもいいんだなと思うのと同時にね」
●じゃあ、そこで一遍に自分の中からの言葉みたいなのがワーッと溢れ出したって感じ?
「そうですねえ。うん」
●それは盛り上がるわねえ。
「うん、そうだね(笑)」
●なるほどね。だから、パートナーが替わったぐらいで何で塚本晃がこんなに詞も曲も書く、唄う、しかもクオリティーはすごいわっていう。
「(笑)」
●何でこういうことが起きたんだろうって思ったんだけど。それはパートナーが替わったってことじゃなくて自分がそこで思いっきり変わったんだよね。
「うん、そうですね」
●で、実際に出てきた歌詞というのは最初書き始めてどうだったんですか。
「うーん、なかなかうまくいかなかったねえ。曲を書くようにはいかなかったかなあ。ていうか、やっぱ言葉だけ書くっていう作業だから、音楽を何も考えずにね。そうすると自ずと『何で紙に俺は言葉を書くんだろう?』と思ってくるんだよね。いや、だって書けないならやめりゃいいじゃん(笑)」
●うんうん。
「でも、やっぱ敦とやるには言葉を書いてかないとダメかなとかそういう感じがあったのかなあ。で、書きながら『これ俺思ってねーや、やっばり』とかいうところをどんどんどんどん省いてくと、すごい言葉が少なくなってくの。そんで、その一番言葉が少ないところがこういうふうに出来上がっていった詞」
●なるほどね。じゃあ、自分から沸騰して何か湧き出てくるまでのシェイディ・ドールズ時代は、自分にとってどういう時期だったと思いますか。修行時代だったとかさあ(笑)。
「ははははは。そんなことは思わない。修行時代でも何でもないですよ(笑)。でも何でしょうね?............ゴメン、わかんないや」
●じゃあ逆に、例えばシェイデイ・ドールズがなかったとして、ずっとアルバイトとかやってて音楽をやってなかったとしたら、こういう時期は来てると思いますか。例えばずーっと皿洗いかなんかやってて、ある日そこで中村敦と会ったとしてきあ(笑)。
「うん。いや、そしたら当然こんな会い方じゃないよね。だから、ヘヴンをやり始めた頃は、前のバンドをやめてやるっていうすごい勢いのもとに来てるから。でもこういう時期が欲しいっていう願望はきっとどんな時でもあったと思うよ。やってなくてもね」