中村敦インタビュー2000年 by 金光裕史


■■魂の帰還  文=金光裕史(音楽と人



KATZE解散後HEAVEN結成。そして活動停止後の長い長い沈黙の期間。その理由はインタビューを読んでいただければわかるが、確かなことは、彼が再び唄い始めることを待っている人たちが、こんなにも多くいたということである。そんな人たちの気持ちに後押しされて唄う魂の歌。 3曲入り(完全受注生産CD)の『BLUE BIRD』に収録されている楽曲には、彼の感謝の思いがあふれている。そして本当の歌が始まるのはこれからなのだ。





――まずHEAVENが活動停止してからの中村さんの動きを整理していきたいんですけど。
「や、単純な話で、5年間調子悪くて倒れてたんです。それだけ(笑)。去年の夏まで倒れてたんで。べつに何にもしてないですよ。病床にいたってだけ。半ば諦めてたんで。全然動けなかったし、変な話ですけど、救急車で20ヵ所くらい連れ回されて」
――ええっ!?
「もう手遅れだからっつって放っとかれたの。それくらい悪かった。体の全機能低下で。目も見えないし、倒れたまんま。ツケが回ったんですね。だからほんと、大して喋ることないんですよ(笑)。歩くことさえキツかったので、前のように走れるかどうかから始まって。周りの人とかインターネットで応援してくれる人だとか、そういう人達に背中押されて始めたんですね。昔のキャリアは何の役にも立たないし、何もないのにいろんな人たちが〈唄えよ〉って後押ししてくれるから、とりあえず演ってみようと。だからまず、速攻でバンを一台買って。ギター1本で旅したんですよ。それが出来るかなと思って」
――それはいざ音楽を演るに当たってどこまで出来るのか、 っていう挑戦だったんですか。
「うん。あと〈始めるから〉っていう挨拶回り。でもまた倒れるかもしれないっていう不安の中でずっとやってたから……やっぱ怖かったですよ。もう次の街に辿り着くかどうかが怖くて、体力的にも自信ないから。ステージ終えて、次の街までたどり着いて、涙出ましたよ。嬉しくてね。半年で40ヵ所くらい。寝泊まりは車で、地元のアマチュア・バンドとかの演ってるイベントに出させてもらうわけですよ。それで日銭もらって次の街へ行くっていう」
――そういう不安を取り除いて前へ向かわせてくれたものは何だと思います?
「や、人ですよ。人が応援してくれたからですよ。音楽演る理由とか生きてる理由とか、カッコいいこと言えばいっぱいあるけど、でも単純に応援してくれて〈やれ〉っていう人がいるなら唄おうかってとこがまずあって」
――例えば自分の考え方や生き方は変わりましたか?
「や、もうめちゃめちゃ変わったよ。この場だけでは言えない。それがこれからの僕のすべてだと思うし。何でブッ壊れたのかっていう理由を作った俺も含めて。で、それで変わらざるを得なかった部分、でもちっとも変わってない部分も含めて、これからのためにあったんだなあと思うから、俺はよかったと思ってますけどね。あのまま行っても死んじまってるでしょ。むしろ振り返ってみると、倒れてよかったなあと思う」
――そん時倒れないで続けて演っていたかもしれない音楽と、倒れて5年間、ブランクがあって今演ろうとしてる音楽っていうのに違いはあると思いますか。
「それはね、ないね。結局ずっと同じことですよね、何故か。ただ旅で見た感情が増えただけで、おなーじまっすぐの道行ってるだけ。持って歩いてるものは何も変わらない。でも必死だから、凄ぇ膨大な曲作ってたんです。100とか言わないくらい。日記のように書いてた。(でも)1曲も気に入らないんですよ。それが辛いんですね。唄いたいと思わないんですね、その曲。だから悔しくて、絶対いい歌唄おう、創ろうと思ってきたんです」
――〈いい歌〉っていうのはどんなものなんでしょう。
「難しいこと言いますねえ(苦笑)。わかんないですけど……ボジティヴなものとか愛を感じて、いろんなアーティストがいろんな音作るわけでしょ。それと同じ絵が見てもらえたらいいなあと思いますね。書いた文面通り誤解なく取られたらいいことでしょ、凄く。それは自分の才能でもあるし。僕にとってもそうで、やっぱ見た素晴らしい景色や思いを歌に込めるわけですけど、それと同じように、まず受け取っていただく……いろいろ切り方あるけど、俺はその人の人生の中で一瞬でも俺の歌がいいように光ってくれりゃいいと思ってんですよ」
――例えばこの新しい音源だったりは……。
「ここらへんまではお礼参りのオマケですけどね」
――「サンキュー」っていうタイトルは、そういう支えてくれた人たちへの気持ちなんですね。
「あ、もうまったくそうですね。その……夢見るわけですよ。ブッ倒れた時いろんなもん聴いてて。ハイ・スタンダードの〈ENDLESS TRIP〉っていう歌あるじゃないですか。あれはバンドが旅をする歌でしょ。僕、英語の歌なんて唄えないのに憶えちゃうわけ。そのくらい聴いてて。ベッドに寝た状態で〈俺も旅したいな〉と思うじゃん。で、旅して走ってる時に〈あ、よかったな〉とその曲聴いて思い出して、涙出ましたよ。〈帰ってこれたな〉と思って、僕的には幸せな瞬間で、忘れないですね。でもね、何持って歩くかっつったらね、倒れたり、こんな思いまでしてもね、運ばなきゃいけない歌ですよ。俺べつに倒れたくて倒れたわけじゃないじゃん。楽しくて酒飲んでたけど、酒も煙草も何もかんも取られて。でも、そんなことまでして運ばなきゃいけねえと思って一生懸命運んでる歌? そうとしか言いようないよ。それは愛だし、魂だし、俺の生活だし家族だし、全部。〈そこまでして運ぶんだな〉と思うよね、不思議にね(笑)。そのために生まれたんだと思うし」
――〈唄うために生まれてんだな〉っていう。
「うん。もう逃げないよね。死ぬまで唄うとも言えねえけど、ただ唄うのが俺の仕事だからさ。だから〈倒れてよかったな〉っていうのはそういう意味もある。逃げてるわけじゃねえ――むしろ怖いから立ち向かうんだけど、でも今はべつに逃げも隠れもしないし、怖くもねえし。で、そうなろうとしてるところは凄い自覚してるから、そういう意味も含めてよかったと思う。そんだけの時間かかったんだろうね、頭悪かったから(笑)。15ん時に〈そうする〉って決めて、音楽始めてんだけど、結局最近になるまでさ、〈いいのかよ、俺唄ってて〉くらいのところがずっとあったんだ。でも〈いや、俺は唄うよ〉って腹括れたというか。だけど〈ロックンロール〉という言葉に支えられてきたんだなって思うんですよ。ずっと好きだったんで、素直にやっぱ演りたいですね」
――ロックンロールというものを中村さんの中で位置付けてるものは何だと思います?
「いや、それもいっぱいありますよ。生き方から何から……人の好きになり方から挨拶の仕方から音楽から服から全部だと思うので。その言葉一辺倒で一色に染まっちまうっていうパワー? 僕もそれに侵されてるだけですよね。逃げようがない、腐れ縁みたいなもので。前のバンドで〈もうロックって言葉使わない〉とか言ってたこともあったけど(笑)でもやっぱね、逃げようがなかったですね。旅に出て、バンド組んだばっかのヤツらの初ステージと対バンとかしたら、演奏はドタバタしてんだけど気持ちだけは世界中の誰より強くて。僕はそういう〈好きだ〉っていう感情だとか本物の光に心奪われちゃうんですよね。誰にだってそれはあるでしょ? どいつが本物っていうんじゃなくて、誰にだってそれはあるんですよね。それを出す瞬間はまちまちですけど。でもそういうのが好きなんですよ。その瞬間が僕にとっては凄い大きいロックンロールだし。だからそういうのに触れやすくフットワーク軽くやることが、僕にとってロックンロール・ライフだし。幸せですよ、またその瞬間をいっぱいに感じ取ることができるんだから」