中村敦「WONDERFUL LIFE」を語る。

HEAVEN 1992 TOURパンフレットより。
インタビュアー こすぎじゅんいち
構成 山岡秀司





 特に趣味もないから、東京にいるときはほとんど毎日行く飲み屋があるんだけど、カウンターとちょっとした座敷がある小さな店で、そのカウンターの一番奥がもう俺の指定席みたいになってる。食い物がうまいとか酒がうまいとかっていうことよりも、大将(店主)の顔を見に行ってるんだな。大将と仲良くなったから、その大将とのコミュニケーションが楽しいんだ。
 大将は俺の体にも気を遣ってくれて、俺があまりつまみを食べないもんだから、勝手にどんどん出してくれたりする。店が休みの日でも飯食いに来いって電話くれたりね。
 店が終わってからふたりで明け方まで飲むこともあるくらいだから、大将とはもう何でも話すよ。プライベートの話、女の話、結婚観、音楽の話。
 音楽で言えば大将はビートルズを生で聴いてる世代だから、俺も好きだっていうところで話が合うし。でも店では、ミュージシャンを離れてひとりの人間として付き合えるからいいんだよな。それが、居心地がいい。だから、その店に来る他の常連客との会話も楽しめる。
 いろんな職種の人がそれぞれの世界のマニアックな話をしたり、競馬やプロレスの話をする。それを聞いているのが楽しいんだ。たまにはムカツいたりすることもあるけど、常連客とケンカはしないね。ただ、ときたまきた店のルールをおかすような奴とはケンカすることもあるけど。だから、音楽仲間でも、心からいい奴だと思える奴しか連れて行かない。女を引っかけて飲みに行くとかは絶対にない店だから。
 いまは一番大切な、居心地のいい落ちつく場所だね。他で飲みにいくとしたら新宿くらいかな。おしゃれなのより何でもありの方が好きなんだよ。
 しょんべん横町なんか行くと、やばいんじゃないかっていうような安い酒や、食いかけじゃないかと思うようなつまみが平気で出てくる。バクダンとかいって、ズバリ、わからないみたいな。ビール飲んでるんだけど焼酎の味がするみたいな。そういうのが好きで、昔はよく行ってた。
 女の子が来ようが、大臣が来ようがここでは一緒っていうのが俺はいい。それに、俺にとってはおしゃれなバーのささやき声の方が、ガヤガヤと活気のあるざわめきよりもうるせえんだ。とにかく、つくろわなきゃいけない酒っていうのは性に合わない。
寂しがり屋の部分はあるんだと思う。ひとりじゃ空気が重いから飲みに行っちゃう。もっと言えば、ひとりきりになって自分を見つめる時と、大勢の中で自分を見つける時がある。その空間のちょうど真ん中が飲み屋っていう気がする。そこにはそういうものを求めてる連中が集まって来る。だから居心地がいいんだな。
 それでも、自分を取り巻くものから逃避するように旅に出ることはよくあるけどね。旅は好きなんだよ、昔から。2、3日開いたら、ふらっと行っちゃう。海がいいなとか、あの飲み屋の親父に会いたいなとか、仙台のあたりにしようかなとか、大体の行き先だけ決めて、北海道くらいまでだったら行っちゃうね。
 行ったところはどこも好きだよ。自分がフラットになってるから、何を見てもおもしろいし、知らない道を歩いてるから何があってもおかしくないと思ってる。それに、自分を取り巻くものが何もないって気持ちいいだろ。たとえば外国へ行くとすごく優しくなれたりする。
 旅には、いままでの自分じゃなくていいっていうところと、いままでの自分を見つめ直せるところがある。そういうタイミングがないとだめなんだよな。
 ガンガン追われると、見つめ直せないから前しか見えなくて、上も見なくなる。
 普段の日でもゆとりがあって、今日は6時まで何もないっていうときに、1時ごろ道に迷ってるおばあちゃんに会ったら、連れていってやってもいいなと思うことあるじゃない。そういうときは機嫌がいいんだと思うね。でも、そういうことって子供のときにはよく思うけど、年取ってくるとあんまり思わなくなってくる。俺の歳でおこがましいけど、でもそう思うんだよ。でもそうなっちゃうと、詞を書いてる理由がなくなっちゃう。
 ふらっと旅に出るなんて言うとお前暇そうでいいなって言われるかもしれないけど、でも、そういうことがないと辛いんだよ。



 恋愛なんかにしてもSEXって言ったほうが自分を見つめられていい。自己の世界は自分を曖昧にできるから。
 それが、異性とタイマンということになると、自分と凄く見つめ合う。思ってあげなきゃいけねえんじゃねえか、思ってねえんだから、やっぱり思ってねえんじゃん。快感だけが欲しいのか。いや、快感よりもっと・・・・。
 そんな風に思うときはきっと、好きなんだろうな。嫌われてもいいくらい本音でしゃべるのは、好きな女といるときだから。これで嫌われたら、俺お前のこと諦めるわって思う。そこで妥協したら一生切れないから。妥協したことで自分の中に歪みができるから、よけい切れない。恋愛は感情だから、そういうところは素直に太い線を選んで生きていきたいと思う。
 本当に知りたいのは、お前は何者で、俺は何かっていうこと。俺は全部お前の中に入りたい。届かないとこまで行ってみたい。そういう気分にさせて欲しいんじゃなくて、たぶんそれがやりたい。できなかったらまた考えよう。ガーッと思い切りやるけど、コンと当たるそれだけがある。もう口から出ろ!っていう気分になる。そこまで喜ばしたいってのと、そこまで感じて欲しいってのと。もう、その場にしか答えはない。そこが好きなんだ。
 団体競技っていうとこも好きだね。ユニット組まないとできないわけだから。俺が手を挙げたら噛むとか、そんなふうに団体競技としておもしろいとこまでいきたい。SEXの感覚はなかなか言葉にするのが難しいし、快感を言うならこんなもんじゃないと思うけど、きっと男なら誰しも思うよな。女だってあると思う。征服したいとか、されたいとか。
 いつも思っているんだけど、歌いたいと思うテーマはひとつなんだよ。笑ってたり泣いてたり、その表情が違うだけで、やってることはいつも一緒。
 欲をいえば、気持ちが全部詞になったらすばらしいと思う。思ってることが全部言葉になれば凄く気持ちいいけど、それはなかなかできない。本心を伝えてるつもりでも耳に届くまでに歪んじゃう。みんな歪みの中で暮らしてるし、伝えるっていうことは歪むことだから、だから考えなきゃいけない。でもひとりでいると甘えちゃうから、塚本と一緒にやってる。
 塚本は、俺がこれがいいのかどうかって思ってるところを、これお前の言葉じゃないだろって指摘してくる。言われたときは少し頭くるけど、でもそれは自分が手を抜いたってことがわかってるからだと思う。とても近くて、似てない奴が近くにいるんだよ。それでも、そういう指摘を受けないところまでいきたいわけだから、矛盾だらけで歪みまくってしまう。だからこそ表現し続けていけるんだろうけど、一生かかるんだろうな。
 俺は立場も人間も弱いと思っているから、その部分で悩んできた人間だから、コミュニケーションなんかでも歪まないまともな会話がしたいと思ってる。業界の歪みに合わせたときに確かな痛みが残ったから。業界はこんなもんだよって言われて、無理に納得しようとしたとき凄く痛かった。でも、業界はそんなもんでも俺はそんなもんじゃねえって思うから。そう思うことが死ぬほど気持ちいいから。
 それでも、本当はいい人がいっぱいいると思いたい。3歳の子供でもかっこよく見えたり、70歳のおばあさんでもセクシーに見えたりするからね。それも、その人なりの尺度でのまともな、普通な会話があるからだと思うし。そういうことを一番、見てくれる人、聴いてくれる人に伝えなければいけないと思う。伝えてあげられる立場にいるから、最高の商売と思っているから。
 伝えられるってことには確信持ってる。それは、たとえばボブ・マーレーがそうだから。ボブ・マーレーを認めるならもう疑う余地はない。ジョン・レノンを認めるなら疑う余地はない。もう、俺たちが考える前にできちゃっていることだから。それよりも考えなきゃいけないことは、彼らにできなかったこと。影響を受けたからこと、憧れたままでは終わりたくない。クラッシュもチャック・ベリーもドアーズも大好きだけど、俺があの世に行って歌を聞かせたとき、それ俺のに似てるなって言われたら、あの世でも行き場所がなくなっちゃう。
 最後に開き直って、歌を書く気になる。その感覚が好きなんだよね。思い詰めて思い詰めて、歌う意味なんかないんじゃないかと思うときがある。聴き流されるだけじゃないかって。そうやって自分を責めていったときに、いつも「To be or not to be」にぶちあたっていく。いるべきか、いないべきか。そこまでいったときに開き直って、俺はいるべきを取ろうと思える。
 諦めを繰り返していくことで、根の部分で諦めていない自分をみつける。そこで開き直って、歌わなきゃと思うのが好きなんだ。ポジティブな諦めは次につながるしね。今日はここまでで諦めるけど、明日はもっとやってやろうっていう。
 それに、原点まで追いつめて考えることで歌のテーマも見えてくる。イマジネーションが湧いて表現するための言葉が出てくる。ピシャリと心の形に合う言葉が出てきたときは凄いね。
 だから詞を書くっていうのも、自分を見つけるための手段だと思う。音楽をやっているっていうより、音楽を使っているっていうのが近い。音楽を使って自分を出す、表現しているんだと思う。
 ロックっていうことは常に考えているけど、自分の美学や可能性を追い求めていくより、いまの時代にロックの概念を当てはめて作っていくほうが好きだな。明日になったら、明日の風の中で歌える奴のほうが好き。そういう意識を持ってなかったら、俺が何かで変化したときに変わったって言えなくなっちゃう。時代の変化に対応した歌を歌うことで、責任を負いたいと思う。だから、少なくとも政治はロックだと思う。
 ひとり遊びの中にかっこよさを求めていったら、結局オナニーのやり方みたいな悲しい話になっちゃう。
 ひとり遊びに、煩悩と本能がひっついたものをやってる人がロックだから。でも、その部分を考えていくのは最高のエクスタシーだね。女とエッチするよりいい。SEXは百発百中いけるとは限らないけど、ロックのステージは百発百中いきたいから、俺はそう思ってる。




「俺があの世に行って歌を聞かせたとき、
 それ俺のに似てるなって言われたら、
 あの世でも行き場所がなくなっちゃう。」


そう考えて真の意味でオリジナルな音楽を
創造しようとしている「Creator」が今の日本に
どれだけいるだろうか。


「少なくとも政治はロックだと思う。」


世の中には政治的な歌を嫌う人が多いけれど、
優れたミュージシャンほど政治的な立場を
明確にしていることが多いように思う。